沿革

草創期

 水泳部の誕生は明治40年(1907年)である。
「部」といっても、その活動は夏限定であり、千葉県北条町八幡(現在の館山市)の北条海岸で2週間程度の 水錬を行ったとされている。同年に、浦和中学(現在の浦和高校)水泳部も活動を始めており、浦和中学の 白フンドシに対し、川越中学は赤フンドシを着用した。

 初年度の明治40年は、73名の生徒が3名の教官の元、7月26日から8月8日の14日間に渡り活動を行った。教 官には、川越中学の教官とともに古式泳法の専門家である横井耕造氏を三重県から招いた。宿舎は、近くの 農家を貸しきり、外に3間12間のバラックを建てて調達した。練習は、それぞれの能力に応じて、「ヨーイソ ラ」の掛け声とともに水の中を往復することが主であった。その間に進歩が認められた者は等級に応じて審 査され、1町(約109m、遊泳時間5分程度)から、50町(遊泳時間2時間)までの段階で泳力が認定された。水 練の終盤近くには北条海岸で関東水泳大会が開催され、10名の生徒が観海流の「陣笠飛及平泳傍示廻りの形」 を披露した。生徒1人あたりの参加費は、交通費を含め7円77銭であった。

 水錬期間中の日課は次のとおりであった。

 大正3年(1914年)には、その活動が認められ学友会(現在の生徒会)に正式に加入した。川越中学の学友 会は、学校創立間もない明治33年(1900年)に発足し、明治34年(1901年)頃から部活動が始まったとされ ている。学友会発足当時から活動していたのは、撃剣部、柔道部、野球部、庭球部、フットボール部であり、 水泳部は校内で6つ目の部活動となった。

 大正後期には、水泳部の歌が作られた。これは、明治後期、川越高校校歌の作詞 者でもある古谷喜十郎先生(国語科教諭)が作った詞に、野球部部長として有名な飯田亮先生(国語科教諭) が改良を加え完成させたものである。質実剛健、文武両道の川越高校の校風がいかに伝統的なものであるか を偲ばせる荘厳な歌詞となっている。

 大正7年(1918年)には赤痢蔓延による一時中止(結局3年生以上のみで実施)、大正8年(1919年)には八 幡の宿との値段好調不調による岩井村への開催場所の変更(以後ずっと岩井村で実施)などを経、この活動 は昭和15年(1940年)まで続けられた。


第一次黄金期

 昭和17(1942年)年から、川越中学の部活動は戦時色の強い29の班組み(進学班、学芸班、科学班、気象 班、芸能班、図書班、興亜班、作業班、園芸班、篭球班、陸上競技班、蹴球班、野球班、剣道班、相撲班、 庭球班、弓道班、柔道班、登山班、機甲班、国防競技班、嗽叭班、防空班、射撃班、教練救助班、銃剣道班、 滑空班、配給班、職業指導班)に変更された。それに伴い、水泳部は昭和22年(1947年)まで休部に追い込 まれた。

 昭和22年の春、水泳を得意とする有志が集まり水泳部を再結成した。これが年間を通して活動を行うスタ イルのスタートである。再結成時には、2年生から4年生までの約20名程度の部員が在籍した。校内にプール がないため、川越駅西方に位置するサントク工業の冷却用水用プールを借用し毎日放課後に練習した。夏休 みには松山高校、高麗中学校のプールで合同練習を行った。

 サントク工業に加え、日製紡、川越富士見中学校、初雁公園市民プールなどの協力を得ながら規模を拡大 した水泳部は、再開から4年にして始めての国体選手を輩出した。江守秀男氏(現川越高校水泳部OB会会長) である。氏は、昭和28年(1953年)から2年連続で国体に出場し、川越高校水泳部の存在を広くアピールし た。続く昭和30年(1955年)には高野慎三氏(現川越高校水泳部OB会副会長)、昭和33年(1958年)には長 谷川格司氏、横田浩一氏も埼玉県代表の座を射止め、川越高校水泳部に第一次黄金期を築いた。横田浩一氏 は翌年男子自由形全種目の埼玉県記録を更新し、中長距離種目に至ってはその後8年間にわたって記録を保持 し続けた。偉大なる氏の記録は次のとおりである。

横田氏の記録
種目 記録
100m自由形 1分05秒8
200m自由形 2分20秒6
400m自由形 5分05秒5
800m自由形 11分04秒6
1500m自由形 20分48秒4

 昭和37年(1962年)9月には、第1回の校内水泳大会が水泳部の主催で開催された。校内にプールがないた め初雁公園市民プールを借用し、2日間がかりで行った。以降、平成4年(1992年)から平成8年(1996年)ま でに4年間の停止期間があったものの、現在もその歴史は受け継がれている。現在は、開催時期を7月とし、 1年生の学年行事となっている。


第二次黄金期

 昭和41年(1966年)5月、待望の日本水泳連盟公認プールが校内に完成した。50m×9コースの本格的なプー ルは、今もなお水泳部の活動や保健体育の授業で使用されている。昭和38年(1963年)、プール建設が職員 会議で決定されると、翌年にはプール建設委員会が結成された。先生方の精力的な活動により異例の速さで 県議会の採択が行われ、昭和40年(1965年)12月から5ヶ月間の工期で建設工事が行われた。総工費2286万 5000円、プール本体の工事費は1510万円であった。6月8日に行われたプール開きには、木原光知子氏、福島 滋雄氏(ともに東京オリンピック競泳代表選手)、川口市立高校水泳部、東京二階堂高校水泳部が招待され た。

 プール完成の翌年、昭和42年(1967年)には、浦和高校、松山高校、川越高校の3校による「三校戦」が開 始された。初代の栄冠は松山高校の頭上に輝き、以降三校戦は夏を目前にしての貴重な長水路での大会とし て親しまれた。平成11年(1999年)に終焉を迎えるまでの総合優勝は、浦和高校20回、松山高校7回、川越高 校5回であった。

 本校水泳部の第二次黄金期は、プールが完成した10年後の昭和50年(1975年)頃に訪れた。昭和50年と51 年には、国体予選、新人戦で総合第2位を獲得し、当時の三強、武南高校、川口市立高校、川口工業高校の座 を脅かした。特に昭和51年の国体予選では、全ての種目に入賞するという快挙を成し遂げた。


現在

 昭和55年(1980年)頃から、埼玉県内の水泳事情は私立高校の台頭により大きな変化を見せた。この頃か ら、主要大会での上位を春日部共栄、武南、埼玉栄、狭山ケ丘の4強に独占されるようになったのである。こ れらの私立高校は推薦入学により有能な選手を集めて強化したため、川越高校も含めた旧来からの公立高校 の埼玉県内での地位は相対的に低下していった。
 そのような中、昭和57年(1982年)に高橋徹氏が国体への出場を果たしたことは感嘆の想いである。

 時代が平成となって1990年代に入ると、主に生徒数の減少と水泳部顧問を担当可能な教員の不足により 県内中学校水泳部の廃止が相次ぐようになった。また、一部の公立高校でもスポーツ推薦入学制度が開始さ れるなど、人材を一般入試に頼る川越高校水泳部にとって状況は厳しさを増してきている。

 近年の川越高校水泳部にとっては国体・インターハイへの道は険しく、まずは全国への最初の大会である 学校総体(埼玉県高等学校総合体育大会)を突破して関東大会への出場を果たすことが最大の目標となって いる。関東大会への出場は、昭和62年(1987年)から昭和63年(1988年)の2年間及び平成3年(1991年)か ら平成6年(1994年)の4年間に渡って実現された後暫く途絶えていたが、平成15年(2003年)に8年間の沈 黙を破って出場が実現したことは久しぶりの吉報であった。

 一方、近年は水泳部がくすのき祭で実施している水中演技が注目を集めており、現在のくすのき祭を代表 する恒例行事となっている。水泳部は昭和50年代末(1980年代前半)頃まではくすのき祭で中庭にヨーヨー つりなどの模擬店を出していたが、昭和62年(1987年)に初めてプールの使用許可を得ると、プールサイド で模擬店を出すと共にプールを使用してのアトラクションを行った。この時のアトラクションは水中綱引き や勝者当て競泳レースなどであったが、その翌年からは音楽に合わせて泳ぐ演技も始まった。なお、この前 年の昭和61年(1986年)には一部部員が正式な手続きを経ずにプールを使用して演技を行っているが、校風 のせいもあってか、特に問題視されなかったようである。

 上記のくすのき祭での水中演技は以降水泳部の毎年の恒例行事となり、平成初頭(1990年代前半頃)から徐 々に各種メディアにも取り上げられるようになった。平成11年(1999年)のテレビ朝日系列「ニュースステ ーション」での特集放送と、それをモチーフとして作成された平成13年(2001年)の映画「WATER BOYS」の 公開により広く全国に知られるようになると、それ以降はプールを用いた同様の水中演技に向けた取り組み が全国各地の学校やスイミングスクールに急速に広まっていった。水泳を自らの発想でアレンジし、それを 楽しもうとする姿勢はまさに川越高校の校風を反映したものといえるだろう。川越高校の活動をきっかけと して全国に広まったこの水中演技は、水泳というスポーツに新しい価値を生み出し、現在では学校教育の範 囲を超えた各所で水泳の普及や各種活動の活性化に貢献するようになっている。

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